| 尚隆が雛虞(すうぐ)を手に入れた。 白地に黒の斑と艶の美しい、雛虞にしてもかなり素晴らしい部類のそれだったから、「たま」と名付けた時には皆一様に呆れた。蓬莱で は猫に付ける名前のひとつだと六太が教えたところ、側近たちはさらに呆れかえって苦笑した。 「しばらくは厩舍(うまや)にこもったまま出てこないでしょうねぇ」 朱衡のそんな予想の通り、尚隆は厩舍に入りびたりになった。 「新しい主人に慣れさせるのが、これがなかなか大変でな」 新しい玩具を手に入れた子供のような表情で雁国の王は言った。 「ふーん」 少し離れた欄干の上に六太は座った。片膝を立ててそのうえに頬杖をつく。しばらく尚隆とたまを眺めて、やがておもむろに口を開いた。 「たまを慣れさせたら玄英宮抜け出そうとしてるって、朱衡にバレてるぞ」 「ほう、そうか」 尚隆に動じる様子はない。 「だからたまが慣れたら成笙と帷湍と協力しておまえ部屋に閉じ込めるとかなんとか」 「ほう?」 おまえそんなことを俺にバラしていいのか、と尚隆は振り返りもせずに言った。 「知ーらない。怒られんのは尚隆だもんな」 素っ気なく返す。朱衡怒らせたら怖いぞー、と言って六太は軽く笑った。 しばらくして、尚隆が言った。 「こいつが慣れたら、乗せてやろうか?」 「いらねーよ。騎獣は本来二人乗りじゃねぇんだし」 置いていかれる気が、した。 この王は、ひとところにずっととどまっていられる気性ではないから。 雁の中であろうと外であろうと、何かが起これば自分の目で確かめなければ気が済まないはずだ。 そしてそのためなら、しがらみなどたやすく断ち切ってみせるのだろう。 雛虞が玄英宮に来たとき、朱衡や成笙らは、ため息をついて嫌味を言ったりのれんに腕押しなのをわかっていてくどくどと説教をしたりと 、三人三様な反応を返したが、皆半分くらいは諦めていた。 王が決して国をないがしろにするのではないとわかっているからだ。 けれど、置いていかれたくなどなかった。少なくとも、自分は。けれど、 口がそうと素直に言うはずもなくて、わざと気のないふりをした。 「おまえくらい軽ければ、どうということもなさそうだがな」 「嫌だね。尚隆みたいに図体でかい奴と乗ったらオレなんかつぶされそうだしー」 そこで尚隆は吹き出した。どうやら今まで必死に堪えていたらしい。六太はむくれる。 「…なんだよ」 尋ねるが、返答はない。笑い転げるまま、彼は奥の厩舍を指差した。笑い過ぎで目の端に涙すら見える。なんて奴だ。 勢いよく欄干から飛び降りて、奥の厩舍をのぞきこむ。と、呆然と六太は呟いた。 「…雛虞だ」 雛虞がいた。しかもたまとかなり似ている。黒の斑が多少違うくらいか。 「なにこれ」 やっとのことで笑いをおさめた尚隆が立ち上がって歩いてくる。 「俺が出掛けてもこいつが厩舍にいればしばらくはバレんだろう、…と思ってな。わざと似てるのを連れてきた」 「ダミーかよ」 「ん?」 「なんでもねぇよ。…それより、こんなこと俺にバラしていいんだ?」 にんまりと笑って六太が言うと、尚隆もまた破顔した。 「気が変わった。一人で怒られるより、二人で怒られたほうがいっそ楽だからな」 連れていってくれる、というのだろうか。 子供じみた拗ね方をして自分が嫌になったりもしていたのが、その途端もうどうでもよくなった。現金なものだ。 つまらないことで沈んでいた自分がばからしくなって、六太は笑った。 「ホント、どっちが王なんだか」 笑って言ってから、六太は雛虞をのぞきこむ。慣らした後なのか元々なのか、わりとおとなしい気性のようだ。 麒麟の本性は獣である。そして、獣は獣の匂いには敏感なもの。黄海でこんな獣に会おうものならとっくに逃げ出しているところだけれど 、この雛虞にはそんな恐ろしさや獰猛さは見当たらなかった。 「なあ、こいつの名前は?『たま2号』じゃあんまりだろ」 振り返って尋ねると、尚隆は胸を張って答えた。 「名前ならもう付けた。『とら』だ」 失念していた。こいつが、正真正銘の「バカ」だということを。 「…そっちの方がかわいそうかもしんない…」 呼ばれたと勘違いしたのか、とらが くおん、と鳴いた。 数日後、陽光溢れる雲海の上を、二つの影が横切っていった。 向かう先は、誰にもわからない。 (07/09/12 改稿) |