弐章 宵の占 ――長月・末第七話大巫女と真木が占の間から出て行くと、真尋と瑞枝が待ち構えていた。大巫女は微笑して、先に部屋へと戻っていく。その姿が見えなくなったところで、瑞枝が口を開いた。 「……さっきは、ごめんね。言い過ぎちゃった」 苦笑して、素直に謝る瑞枝。口をへの字に曲げた真尋。 「あ、……もう、いいよ。気にしてないし、大丈夫」 気まずいと思う矢先に謝られると、自分ひとりが怒りや気まずさをひきずるのが馬鹿馬鹿しくなってくる。それに嬥歌[かがい]を嫌がるのは真木の都合であり、真木の問題。からかわれるのは避けられても、いずれは嬥歌などの話題に慣れなければならないのだろうと思う。霜月には、真木だって十六になるのだから。 「そう?」 なら、よかった。瑞枝はそう言ってにこやかに笑う。続いて真尋が訊ねた。 「もう、いい加減に恋の話にも慣れなさいよ!……と言いたいところだけど。まだ、時間がかかるのよね?」 怒っているような、呆れているような。でも最後にフォローがあるから、これは真尋なりの謝り方だ。長い付き合いだから、真木には分かる。 「うん。これでもだいぶ平気になってきたけど……頑張るけど、まだ時間がかかるかも」 「そう」 ぷい、ときびすを返す真尋。慣れるよ、いつかはね……と心中で呟いていると、瑞枝が可笑しそうに耳打ちをした。 「真尋、恋の話題が大好きみたいね」 「……以前からうすうす感じてはいたけれど、そんなに?」 「うん。他の娘の話を聞くのも、自分の話をするのも、大好きみたい。早く真木とそういう話をしたいみたいよ」 物怖じせず、ずばずばと物を言う真尋は、悩んでいる時にはきっと、良い相談相手になるのだろう。それは真木にも良く分かる。しかし。 「いつに、なることやら……」 自分の話でしょ、という瑞枝の台詞を、真木はため息で黙殺した。 その日の夜、大巫女は巫女の少女たち全員を広い部屋に集めた。 「祭りは迫った。神送りの祭りは明後日ゆえ、明日は皆忙しくなる。心しておいで」 しわがれた老婆の声。低くはりのある声は弦を鳴らすように響いて、その場の空気を静粛なものに変えていく。 神送りと、神迎え。神々が出雲へと旅立たれる、その出立を寿ぎ[ことほぎ]道中の無事を祈る。そしてまた翌年の加護を頂くために、出雲から各地へと戻る神々を出迎え、無事に戻ったことを感謝する。 秋は祭りが多いが、どれ一つとして疎か[おろそか]にしてよいものは無い。それぞれに重要な意味合いがあるのだ。神無月が過ぎた暁には再び戻り、翌年の加護を下さるよう祈る。神送りの祭りには、そんな謂れ[いわれ]もある。 「真尋。瑞枝。真木」 『はい』 「三人は此度、祭り舞を披露する巫女となる。明日は禊[みそぎ]と精進潔斎を執り行い、祭りに備えるよう。また、禊が済んで後はこの巫女の館から外出せぬよう」 『はい』 禊[みそぎ]とは、霊的に心身を清めること。神に舞を捧げるためには、この清めはなくてはならぬものであり、また穢れを引き寄せてはならない。禊の後に外出が許されないのは、このためだ。 「それから、玉垣[たまき]、季代[きよ]。祭り舞の巫女に選ばれなくとも、二人に手伝ってもらうことは山ほどある。恙無く[つつがなく]祭りを終えるためじゃ、しっかり頼むぞ」 『はい』 しんしんと更けていく夜。大巫女の言葉ひとつごとに、場の空気が清められるような、奇妙な感覚。心が落ち着いていくとともに、真木はひとつ思いついたことがあった。 (わたしも、謝らないと) 事情を何も知らなかったとはいえ、周水にひどいことをたくさん言った気がする。何を知っている、だなんて、訊かれたくもない腹を探られたために出た台詞ではないのか。もちろん売り言葉に買い言葉で、真木自身だって嫌なことを言われたのだけれど。 それでも、謝らないと。周水についていろいろ聞いてしまった後だけに、そのままでは寝覚めが悪い。 (そういえば。周水は自分自身が、<神荒し>だと知っているのかな) ぽつりと湧いた疑問。それが少し、気になった。 けれど真木は、明日は禊と精進潔斎の身。祭りが始まるまでは、館から出ることさえ叶わない。そして周水は<神荒し>であるがゆえに、祭りには出ることを許されない身だ。 どうやら向こう二日間は、本人に直接会って確かめることはできないらしい。 どうしたものか、と考えて上の空な真木をよそに、大巫女はよく通る声で続けた。真木の意識は急速に、大巫女の言葉へと引き戻される。 「水の巫の家の生き残りが里へ戻ってきたのは、つい先日のこと。美魚岐は水の加護を失う危機にあったが、なんとか踏みとどまっておる。此度の祭りでは、よくよく神に御礼を申し上げなければなるまい。里の巫女として、心して祭りを迎えるよう。そして、無事に神々を出雲へと送り出せるよう、尽力しておくれ」 そう、まずは祭りを終えなければ。祭りを終えて普段の日々に戻らないと、何も始まらない。 『はい』 五人の巫女が唱和して答える声が、静謐さを増した空気に響いた。祭りは、明後日だ。 弐章・終 |