[Top] [Novels] [水の守り]  Back≪ 弐章・六 ≫Next

水の守り

弐章 宵の占 ――長月・末

第六話

 「会ったけど、それがどうかした?」
 「それは、どこで?」
 「里長の館の丘の下、浜辺で」
 なんだか、奇妙なことになってきた。周水と会ったことを大巫女に明かした途端、大巫女が矢継ぎ早に問いかけてくる。
 逢引を咎められる娘の心情とは、こんなものだろうか…と考えて、冗談ではない、と真木は我に返った。
 「そのとき。海の様子は、どうじゃった?」
 「え、海?えーと……別に特に、気にするほど波も風も強くなかったと思うけれど。覚えてないからたぶん、いつも通り凪いでいたと思うわ」
 周水に会うことがまずかったのだろうか、と思っていただけに、予期せぬ質問に真木は驚く。しかし海が凪いでいたと告げると、大巫女の表情は途端に安堵するものに変わった。
 「本人に不遇が続いている時でもあるし、それぞれの事情に立ち入るようなことを聞くのは、あまり好きではないのだけれど。……周水は一体、何をしたの?」
 長い話になる、と大巫女は静かに前置きをした。

 「嵐に流された一件を経て、周水は<神荒し>となったのじゃ」
 かみあらし。言葉の持つ不吉さに、真木はつい眉をひそめた。
 言葉には、音や響きそのものにチカラが宿るという。良き言葉には良きチカラが、様々に影響を及ぼすと考えられていた。
 他方、悪き言葉は悪影響を引き寄せるとされるため、避けられるべきものとして扱われた。大巫女の言い回しが時として婉曲かつ漠然としたものになるのは、このためである。
 しかし大巫女は珍しく、はっきりとした物言いをしている。それが良いことなのか悪いことなのか、真木には見当がつかなかった。
 「<神荒し>とは音の如く、神を荒らぶらせる者のこと。神の安寧を掻き乱し、怒らせる素養を持つ者のこと」
 神を鎮める素養を持つ巫女たちとは、対極をなす存在。神の怒りに触れかねない、そんな恐ろしい存在に、周水はなってしまったという。
 「……でも、どうして?なぜ周水がそんなものになってしまったの?それに、これまでそんな様子も無く思えたのだけれど、どうして嵐で流されたからといって」
 とめどなく疑問ばかりが溢れてくる。大巫女は静かに首を横に振ることで、真木の質問に答えた。
 「なぜ周水なのか、なぜ今になって<神荒し>へと転じたのか。詳しいことはまだ、よくわかっていないのじゃよ、残念ながら。ただ、海で流された一件は、おそらく引き金に過ぎないのであろうな」
 占と、それから本人への聞き込みと。生存者が周水ただひとりである以上、本人の口からわかることを聞き出すより他にないのだと、大巫女はため息をついた。
 「浜で周水に逢うたと聞いて、海や風の様子を尋ねたのはこのため。<神荒し>が近づくことで、海や風の神に何かしら影響を与えていたら……と心配しておったのだ」

 そうだったの、と相槌を打ちかけて、真木ははっとした。
 <神荒し>が海に近づくことで、美魚岐に加護を与える神々の怒りに触れる可能性があるという。もしもそうなれば、美魚岐が嵐に襲われたり、高波に飲み込まれたりするかもしれない。これこそが、大巫女の察知した凶兆の一端ではないのか。
 今のところはまだ何も起きていないが、神の加護があるゆえに災害に見舞われるというのは、ひどく皮肉なことのように思われた。
 しかし一方で周水は、水の巫の家の唯一の生き残りである。<神荒し>になってしまったからといって、周水を里から追放すれば、美魚岐は淡水の加護を失うことになる。淡水の加護が無くては雨が望めず、稲の出来や山の幸に大きく影響するだろう。
 「周水は水の家の生き残りだから、<神荒し>であっても里から追放するわけにはいかない。難しいのは、そこね?」
 慎重に問いかけを重ねると、大巫女は重々しくうなずいた。
 「美魚岐では、海、水、風の加護を必要としておる。どれか一つでも欠ければ、里は安寧を失う要素が高まるもの。いずれも大切にせねばならぬが……まだ策が定まっておらぬ」
 まだ大きな災いは起こっていない。ひとまずは二日後の祭りを無事に終えて、神々を出雲へと送り出すこと。神無月に入ってから、三種類の加護を失わずに済む方法を模索すること。
 当面は、そうする他に無いのだという。満足な方法とは言えないが、少なくとも出雲に神々が離れている間は、<神荒し>の危険性が少ないと思われた。
 「我々も、忙しくなるやも知れぬ。巫女方で神を鎮めることができなければ、この局面は乗り越えられぬのだから」

 祭りの舞も、新しい命も。どちらも楽しみで仕方ない、と笑う祥の顔が頭を過ぎる。
 今日から、一緒に暮らすからね。そういって幼い真木に話しかけた笑顔。誰もいなくなったりしない、笑顔の絶えない生活。
 真尋と騒いで瑞枝になだめられて。大巫女がのんびり眺めていて。
 顔見知りの里人たち。幼馴染みたち。
 一瞬のうちに、様々なものが瞼の裏をよぎった。
 口論の末、夜の森に飛び出していく背中。追いすがろうと伸ばされた、小さな手までもが鮮明によみがえる。
 ――いやだ。居なくなっては嫌だ。もう誰も、誰であっても、喪うのは嫌だ。

 今の祥は水が満ちる身。どうあっても、水の加護を失うわけにはいかない。周水に死なれたらこちらが困る。海は凪いでいたけれど、浜で引きとめて本当に良かった。
 巫女として頑張れることがあるのなら。今はそれに集中しようと真木は思う。
 「なら、神送りの準備は念入りに済ませないといけないのね」
 「そういうことじゃな。巫女同士で喧嘩などしている場合ではないぞ」
 「………はぁい」
 からからと笑う大巫女。ずっと重苦しい話を続けていた占の間に、少し笑顔が戻ってきた。
 「それから、周水が<神荒し>ということは当面、口外無用としてはくれぬか」
 いちどきに親類を亡くした周水は、喪に服すという理由で神送りの祭りを欠席することになるという。神の集う祭りに、<神荒し>を近づけないためというのが本当の理由だが。
 そして神無月に入ってからは、周水は普段の生活へと戻ることになるという。里人との混乱を避けるためにも、口止めは必要なことと思えた。
 「真尋や、瑞枝にも?」
 「いいや。いまはお前の胸のうちに、しまっておいておくれ」
 巫女同士ならば平気だろう、と思っていた真木は秘密が増えておののいた。
 「じゃあ、なぜ私に話したの?周水のこと。<神荒し>のことを」
 「さてねぇ。なぜだろうねぇ……」
 笑って占の間を出る大巫女。はぐらかすときの彼女は、何をどう問い詰めたって教えてはくれない。ため息をついて諦めて、真木は大巫女の後に続いた。

(07/12/02)


[Top] [Novels] [水の守り]  Back≪ 弐章・六 ≫Next
Copyright © 2007-2008 Shido Yutori. All rights reserved.