[Top] [Novels] [水の守り]  Back≪ 弐章・三 ≫Next

水の守り

弐章 宵の占 ――長月・末

第三話

 巫女のことを、古くは神和[かみなぎ]と云った。神を穏やかにする者、神に愛される者、神の怒りを鎮めることができる者などがこれにあたる。
 美魚岐ではこれらの能力に加えて、占いや予知などの能力を持つ女性が大巫女として里を支えている。
 神の怒りに触れることにはいくつかあるが、死の穢れや血の穢れを神域に持ち込むことは、特に忌むべきこととされた。神に仕える者として、大巫女はこれらをできるだけ避けなければならない。
 巫女である真木に霊的能力はないのだが、やはり死の穢れは避けたいと思う。と同時に、誰であろうと、自ら死を負うような真似はしてほしくなかった。
 「あれ、真木」
 知り合いの少女から声をかけられる。どうしたの、と言われる前に手だけ振って走り去った。走って身体を動かして、そんなことではこの憤りは収まらない。
 巫女の館からずっと走って集落を駆け抜けて、やがて、目的地が見えてきた。
◇          ◇  「よいしょ」
 その場に腰を下ろすとき、ついそんな声が出てしまった。おばあちゃんになったみたいね、と祥[さち]は苦笑する。
 誰かに語りかけるような口調であったが、いらえはない。構わず、祥は話を続ける。
 「だいぶ、重たくなってきたのね。でも頑張るから、焦って出てきてしまってはだめよ?」
 優しい、慈愛に満ちた声。やはり返答はなかったが、祥は別の音を聞いた。家の外を走ってくる足音。やがて、声と人が飛び込んできた。
 「祥姉[さちねえ]!」

 祥は真木の母方の従姉にあたる。真木の母代わりとなり、幼い頃から面倒をみていた。今では所帯を持ち別々に暮らしているが、真木のよき相談相手であることに変わりは無かった。
 「珍しいのねえ、真木が喧嘩をして帰ってくるなんて」
 のんびりとした口調で祥は真尋や瑞枝と同じことを言った。私だって、そんなつもりじゃなかったのに、と真木は口を尖らせる。
 「だって納得がいかないよ。どうして、皆を心配してはいけないのよ?なんで、ひとりを選ばなくてはならないの」
 誰かに死の影がふりかかることは、もちろん嫌だ。けれど真木には、誰かを選ぶことだって嫌なのだ。
 ひとりを選ぶことは、他の誰かを切り捨てることに似てはいないか。もしも誰かを選んで、他の誰かを選ばなかったとして。選ばなかった誰かを失うことがあったら、それは切り捨ててしまった自分のせいではないのか。
 真木には、そんな風に思えてしまう。だから、特定の誰かを選ぶことが怖い。
 「そんなに怖がらなくても、みんな真木が大好きだと思うわよ?」
 祥は真木の思考回路をよく知っている。そんな考えを抱くに至ったきっかけも知っている。穏やかに、やさしく諭した。
 「もちろん、私も。この子もきっと、真木が好きになるわ」
 「そう……かな」
 この子も、と祥は右手で下腹部を押さえた。今の祥は、ふたり分の水が満ちる身体。無理は良くないため、力仕事の多い祭りの準備を免除されている。
 「だから、真木は真木の心を大事にすればいいの。自分の心をそなえた真木じゃないと、皆が悲しむわ」

 幼子に言って聞かせるような語り口。優しい言葉を鵜呑みにして信じるわけではなく、ただ、親身に安心させてくれる祥を大切だと真木は感じた。
 「……うん。ありがとう」
 「今の真木が望むのは、どんなこと?」
 「いま、が好き。おばばたちと暮らして、巫女の舞を披露して、祥姉がこうして励ましてくれて。……誰もいなくなったりしない、今がいい」
 素直に答えながら、ひどく泣きたい気がした。
 誰かが自分の前から消えていくことなんて、二度と起こって欲しくない。たとえ相手が誰であっても、それが周水であっても。
 「そう。じゃあ、今の真木は巫女として頑張らなきゃ。明後日は、神送りの祭りでしょう?」
 チカラが欲しいと真木は思った。霊的能力でも、そうでなくとも構わない。大切なもののために、役に立つチカラが。
 「準備を免除されている分、早くに出掛けて良い場所から見ることにしようかしら。楽しみにしているわ」
 「舞は得意よ。きっと祥姉の方を向いて踊るわ」
 「あら、嬉しい。振りを間違えてもちゃんと見ているから、安心して舞を披露してね」
 「間違えたりしないわよ!」
 大切なものの為に神に舞を捧げて、それでチカラが手に入るなら。自分は迷わずそうすると思えた。

 祥の「ただひとり」は夫だろう。子供が生まれてくれば、「一番大事なひと」は二人に増えるかもしれない。
 それでも、この優しい従姉は真木のことも大事に思ってくれるのだろう。
 恋などしなくても、真尋や瑞枝に何を言われても。今はそれで、いい。そう、思えた。

(07/10/27)


[Top] [Novels] [水の守り]  Back≪ 弐章・三 ≫Next
Copyright © 2007-2008 Shido Yutori. All rights reserved.