弐章 宵の占 ――長月・末第三話巫女のことを、古くは神和[かみなぎ]と云った。神を穏やかにする者、神に愛される者、神の怒りを鎮めることができる者などがこれにあたる。 美魚岐ではこれらの能力に加えて、占いや予知などの能力を持つ女性が大巫女として里を支えている。 神の怒りに触れることにはいくつかあるが、死の穢れや血の穢れを神域に持ち込むことは、特に忌むべきこととされた。神に仕える者として、大巫女はこれらをできるだけ避けなければならない。 巫女である真木に霊的能力はないのだが、やはり死の穢れは避けたいと思う。と同時に、誰であろうと、自ら死を負うような真似はしてほしくなかった。 「あれ、真木」 知り合いの少女から声をかけられる。どうしたの、と言われる前に手だけ振って走り去った。走って身体を動かして、そんなことではこの憤りは収まらない。 巫女の館からずっと走って集落を駆け抜けて、やがて、目的地が見えてきた。 その場に腰を下ろすとき、ついそんな声が出てしまった。おばあちゃんになったみたいね、と祥[さち]は苦笑する。 誰かに語りかけるような口調であったが、いらえはない。構わず、祥は話を続ける。 「だいぶ、重たくなってきたのね。でも頑張るから、焦って出てきてしまってはだめよ?」 優しい、慈愛に満ちた声。やはり返答はなかったが、祥は別の音を聞いた。家の外を走ってくる足音。やがて、声と人が飛び込んできた。 「祥姉[さちねえ]!」 祥は真木の母方の従姉にあたる。真木の母代わりとなり、幼い頃から面倒をみていた。今では所帯を持ち別々に暮らしているが、真木のよき相談相手であることに変わりは無かった。 「珍しいのねえ、真木が喧嘩をして帰ってくるなんて」 のんびりとした口調で祥は真尋や瑞枝と同じことを言った。私だって、そんなつもりじゃなかったのに、と真木は口を尖らせる。 「だって納得がいかないよ。どうして、皆を心配してはいけないのよ?なんで、ひとりを選ばなくてはならないの」 誰かに死の影がふりかかることは、もちろん嫌だ。けれど真木には、誰かを選ぶことだって嫌なのだ。 ひとりを選ぶことは、他の誰かを切り捨てることに似てはいないか。もしも誰かを選んで、他の誰かを選ばなかったとして。選ばなかった誰かを失うことがあったら、それは切り捨ててしまった自分のせいではないのか。 真木には、そんな風に思えてしまう。だから、特定の誰かを選ぶことが怖い。 「そんなに怖がらなくても、みんな真木が大好きだと思うわよ?」 祥は真木の思考回路をよく知っている。そんな考えを抱くに至ったきっかけも知っている。穏やかに、やさしく諭した。 「もちろん、私も。この子もきっと、真木が好きになるわ」 「そう……かな」 この子も、と祥は右手で下腹部を押さえた。今の祥は、ふたり分の水が満ちる身体。無理は良くないため、力仕事の多い祭りの準備を免除されている。 「だから、真木は真木の心を大事にすればいいの。自分の心をそなえた真木じゃないと、皆が悲しむわ」 幼子に言って聞かせるような語り口。優しい言葉を鵜呑みにして信じるわけではなく、ただ、親身に安心させてくれる祥を大切だと真木は感じた。 「……うん。ありがとう」 「今の真木が望むのは、どんなこと?」 「いま、が好き。おばばたちと暮らして、巫女の舞を披露して、祥姉がこうして励ましてくれて。……誰もいなくなったりしない、今がいい」 素直に答えながら、ひどく泣きたい気がした。 誰かが自分の前から消えていくことなんて、二度と起こって欲しくない。たとえ相手が誰であっても、それが周水であっても。 「そう。じゃあ、今の真木は巫女として頑張らなきゃ。明後日は、神送りの祭りでしょう?」 チカラが欲しいと真木は思った。霊的能力でも、そうでなくとも構わない。大切なもののために、役に立つチカラが。 「準備を免除されている分、早くに出掛けて良い場所から見ることにしようかしら。楽しみにしているわ」 「舞は得意よ。きっと祥姉の方を向いて踊るわ」 「あら、嬉しい。振りを間違えてもちゃんと見ているから、安心して舞を披露してね」 「間違えたりしないわよ!」 大切なものの為に神に舞を捧げて、それでチカラが手に入るなら。自分は迷わずそうすると思えた。 祥の「ただひとり」は夫だろう。子供が生まれてくれば、「一番大事なひと」は二人に増えるかもしれない。 それでも、この優しい従姉は真木のことも大事に思ってくれるのだろう。 恋などしなくても、真尋や瑞枝に何を言われても。今はそれで、いい。そう、思えた。 |