弐章 宵の占 ――長月・末第四話里長の館へと連れ戻された周水、そしてそれを送り届けた炎は、やや奥まった部屋へと案内された。しばしこちらで待たれよ、と。 二人だけが取り残される。 六日も眠り続けるほどの衰弱。回復したとはいえ、意識を取り戻してすぐに外出したのだ。身体はひどい疲労を感じている。けれど、身体とは逆に意識がはっきりしていくのを周水は感じた。 生き延びて良かったとか、そういうことを思ったわけではない。それでも、助けてもらったのなら礼を言うべきだろう…と思っていたら、憮然とした声が耳に届いた。 「そんなすぱっと死なれちゃ、助けた意味ねぇだろ」 「はぁ……すいません」 周水は炎を眺めた。ひょろっと背が高い。体格の良い偉丈夫、というわけではないが、腕や脚などはよく鍛えられた筋肉のかたちをしている。 織物と毛皮で調節の利く服装からは、旅慣れていることが知れた。美魚岐の周辺では見られない服装。首からかけた朱色の管玉といい、よほどの遠方の出身なのだろうか。 「……ずっと、旅して回ってるって」 どんな心持がするのだろう。漠然と考えて訊こうとすると、あっさりと答えが返ってきた。 「生まれた里は、もうこの世にねぇよ。家族と一緒に、戦[いくさ]で失くした。同じように旅して回る連中に助けられて、俺も旅の者になった」 戦。ずっと平和な美魚岐で育ってきた周水は、戦を知らない。戦禍で家族を、郷里を失くす気持ちは周水には推し量ることもできなかった。 まずいことを聞いたかな、と思って炎を見やるが、彼の表情に別段苦しそうなところはなかった。郷里がなく旅暮らしの者であるということが、炎の中に根付いて久しいのかもしれなかった。 「……そっか。俺が流れ着いた浜の近くに、誰か他にも打ち上げられた人が、いなかったかな?」 「いや、ボウズだけだったな」 「そう。なら俺の親類は揃って今頃、わだつみの神に連れられて海の底かな」 神に忌まれた自分だけ、海の外へと追い返されたのだろうか。真偽はわからない。けれど生き残ったのが自分だけだという事実を、周水はようやく知ることができた。 「ボウズも、独り者になったのか。なら尚のこと、命は大事にするこったな」 「…………うん」 死ぬには十年以上早いって、黄泉から追い返されたんだろ。俺と同じだな。炎はそういって、少し笑った。 いつか彼のように、そう言って笑うことができたらどんなに良いだろう。顔には出さず、周水はそっと考えた。 「どうも、度々お世話になりまして、申し訳ない」 いつも寡黙で、里人の言うことをじっと聞いている印象のある里長。彼は里の外から客人を迎えると、人が変わったように朗らかになる。 まさに今、炎に礼を述べているときがそうだった。 「いやいや、俺は自分の信条に従っただけのこと。それなのに下にも置かぬもてなしをしてくださって、有難いのはこっちです」 一方の炎は、言葉遣いこそ少しだけ丁寧になっているが、その態度に変わった印象はない。豪放磊落、という言葉がしっくりくる。 好きなだけ里に逗留して構わない、と告げられた後に炎は部屋を出て行く。それをにこやかに見送った里長の表情は、途端に落ち着いたものへと変わった。 「身体は、苦しくないか」 「………だいぶ、楽になりました。お手数をおかけしています」 水の巫の家は、自分を除いて死に絶えた。炎の言うことを信じるなら、そういうことになるだろう。漁のため皆が海に出かけてから、長い時間が経っている。家が荒れていることは容易く想像が付いた。それを思えば、こうして里長の館で世話になれるのは、ありがたいことではあった。 「ひとつ、確認したいのですが」 「言ってみなさい」 「水の家の者は、あとは俺だけになってしまった。生きているのは俺だけ、という事実に、間違いはないですか」 炎から遠まわしに聞くことができたにせよ、里長に確認せずにはいられなかった。 水の巫の家は。最後に残った、自分は。 「ああ。その通りだ」 無表情に里長は言い放つ。哀れむような表情がないだけ、マシだと周水は思った。 「そうですか。でしたら、俺はこの里を――」 「父の遺言を忘れたのか」 無表情なまま、里長が言った。その一言に、こらえていた悲しみが憤りと共に吹き出す。 「遺言?!あれを遺言などと言えるわけがないでしょう、だって親父は」 「だが戒めの言葉であることに変わりはないだろう。本人の口から、お前も聞いたはずだ」 父の口から、さいごの言葉を周水は聞いた。それは確かに、まぎれもない事実。 「そしてお前がそれを全うするのを見守れと、わたしは頼まれた。だからお前が里を出て行くのを、受け入れることはできない」 しずかに、里長は続けた。 「神無月になるまで、待ちなさい」 「………」 「神送りの祭りを終えて、神々が無事に出雲へと旅立たれるまで。それまでは、お前の疑問に答えてやることも、望みを叶えてやることもできないのだから」 |